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落語聞きたくなった「やっぱ志ん生だな!」

 前に ナイツの塙さんの本 の時にも書きましたが 私はお笑いが好きです。 分け隔てはありません。 ですので、落語も好きです。 とはいえ落語は、漫才・コントほどは見てません。 最大の原因は漫才・コントに比べて敷居が高いことだと思います。 江戸時代の噺(はなし)が多いので、 もうそれだけで「辛い」と感じてしまったりします。 それでも意を決して「うまい」落語家さんの噺を聴くと やっぱりおかしくって笑ってしまいます(下手な落語は辛いです、、)。 漫才やコントにはない「深み」が落語にはあります。 あれはなんなんでしょうね。 代々受け継がれてきている歴史なんでしょうか。 あの空気を感じたくって落語を聞いたり見たりしているのかもしれません。 で、その深みを体現していた噺家さんが 今回の本のタイトルにもなっている伝説の古今亭志ん生さんです。 偉そうに「体現していた」とか書きましたが、 私は志ん生の落語は聞いたことも見たこともなく、 「お噂はかねがね」状態です。 そんな志ん生の偉大さを これまた偉大なビートたけしさんが明らかにしてくれます。 志ん生は、研究熱心で学んだ蓄積が凄いのに その凄さをひけらかさない。 とても自然なんだけど、その自然の中に蓄積が垣間見える。 それでもあくまでも「お客様ファースト」。 かといって下手に出るのではなく客との関係性は対等だったと言います。 志ん生はお金のためではなく、 落語がしたかったから落語をしていたように思うと著者は述べます。 そんな話を漫才や映画の観点から捉え直したり 自身の若かりし頃の話を交えたりしながら軽妙に綴った気軽な一冊でした。 「志ん生入門に」と思って購入したのですが、大正解でした。 ますます志ん生に興味が湧いてきてしまいました。 でも、志ん生さんは故人なんですよね~。 しかし! こういう時に力を発揮するのが落語です! 話芸の落語はCDでも楽しめるのです! てことで、志ん生のCDを色々聴いてみまーす! また楽しみが増えた♪ ビートたけし著 フィルムアート社 2018年刊

ナイツの単独見に行った過去あります「言い訳 関東芸人はなぜM-1で勝てないのか」

 教室では標準語を駆使してますが、私は関西出身です。 だからなのかどうか解りませんが、漫才が好きです。 コロナが蔓延する前は 寄席や企画ライブを見に 新宿のルミネtheよしもとまで足繁く通ったり、 ルミネに限らず、 お気に入りの芸人さんが単独ライブをするとなれば 各会場まで駆けつけたりたりしたものです。 そんな訳なので、 漫才の超メジャーイベント「M-1」も気にかけています。 漫才の何が楽しいかと言うと あの短時間に濃縮されたストーリーです。 映画も好きなんですが、時間を取られるのが玉に瑕。 その点漫才は過大な時間は求められないのでお気に入りです。 ライブで見ると、 お客さんに合わせて調整するベテランがいたりするのも面白い。 (アクシデントやミスをアドリブでカバーするのも好き) そんな漫才のコンテストであるM-1について語られるのが本書。 著者は漫才師ナイツの塙(はなわ)さん。 過去にはM-1に出場もされていますが、 現在はM-1の審査員を務めておられます。 M-1は競技化してしまったので 対策されるのは必然のこと。 それを審査員側から開示した点が 本書の最も面白いところではないでしょうか。 漫才のスタイルも色々あって 長いストーリーが得意な漫才師(ナイツ)、 中くらいのストーリーが得意な漫才師(和牛)、 短いストーリーが得意な漫才師(霜降り明星、サンドウィッチマン)、 と挙げた上で、 M-1は短いのが得意な方が有利だと論じます。 漫才に限らず、 最近の風潮が「単純化」にあるので この話は納得なのですが、 長い尺の漫才には長い尺の漫才の良さがあるので これはこれで部門を分けてM-1を行えたらいいのに、 などと部外者の私は考えたりしました。 他にも、吉本主催のコンテストなので 自然、吉本ルール(しゃべくり漫才が好まれる)で裁かれるから 非関西人にとっては勝ちにくいと論じたり (そんな中で優勝したアンタッチャブル、サンドウィッチマン、 パンクブーブーは大変な力量な訳です)、 ナイツ自身の話、 殊に「ヤホー漫才」の産まれた話など お笑い好きには興味の尽きることの無い内容です。 センジンは東京にあるので お笑いには少し距離感のある立地ですが、 先生は二人とも関西人! 関西のノリを忘れず、 でも東京に合うように薄めながら お笑い道を突き詰めていきたいと思います!(←ツ...