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地理はおもしろいんだぜ?「人間の営みがわかる地理学入門」

地理はとても面白い学問であると私は考えているのですが、 如何せん、覚えることが多すぎて、 単なる「暗記教科である」と捉えるのが一般的学生の価値観であると思います。 覚えることが多いのは当たり前で、 地理は人と土地の関係、土地に関連する気候の話、 気候と人に関連する農作物の話、と関連事項が多岐にわたります。 (各土地で信仰されている宗教までもが地理の範囲に入ってますし) これを中学三年間の中ですべて習得しなければならないので、 結果的に「データの暗記」になってしまいます。 大事なのは間の繋がりなんですが、 それをやってると学ぶことが多すぎて時間足りないです。 ですので、お勧めは本書のような 地理学初学者向けの本を隙間時間に読むことだと思います。 本書は京都大学の地理の教授の書かれた書籍です。 実際に世界各地に飛び回り、 ご自身の五感で習得された知識は厚みが違います。 自分ではとてもできない経験を、 こうして追体験できるのが読書の醍醐味です。 世界各地の人々の生き様や 農産物と気候の関連性、宗教や国家、村落の歴史性なども学べます。 惜しいのは、折角の生の知識が 飛び飛びで網羅的になってしまっているところなんですが、 それでも世界の地理の学びには恰好の一冊になっています。 「地理はどうもなぁ」という方にこそご一読していただきたい一冊です。 水野一晴著 ペレ出版 2016年

四書完走!「大学・中庸」

  前に 「孟子」 の時に書いた四書五経をご記憶でしょうか? お忘れの方のために以下、 「孟子」 の回から引用です。 -----引用ここから--------- 全部で九冊(四冊の書、五冊の経)の本がグループの中に存在していて、 「できればこの順番で読んだ方が学び易い」という読む順番まで存在しています。 「孟子」はその「四書」の中の一冊で、 推奨されている四書の読む順は 「大学→論語→孟子→中庸(ちゅうよう)」と言われています。 -----引用終わり------ 「大学」は四書の最初、 「中庸」は四書の最後、でした。 本書はこの「大学」と「中庸」という二つの書物が一つになったお得な一冊です。 ただ、読むのに大変時間がかかりました。 まず「大学」を読んだのですが、 「大学」終わったらそこで本書を止めて、 後は「論語」→「孟子」と順に読み、 で、また本書に戻ってきて残りの「中庸」と読み進めました。 数年かかった次第です。 四書を通して流れているのが「仁」(人の愛)であり、 当時乱れていた中国の世相を反映して、 正しい政治、正しい政治家の在り方を説きます。 国の大本は家であり、その家を治めることを第一とします。 古(いにしえ)の中国は「家」を大事にしていたのもこの辺に繋がるのではないかと感じます。 もちろん政治家の徳も最重要視されます。 仁政を敷かなければ国は滅びる、とも。 この導入を大学が受け持ち、 いかにして各人が「徳」を身につけるかを説きます。 そして、最終の「中庸」では、 「偏るではなく、真ん中で在ること」の重要性を説きます。 日々を生きているとその時の気持ち一つでふらふらと心が揺れてしまいます。 そんな時に、偏らないように心の中心に「仁」を置き、 日々の生活ではしっかりと「徳」を積む。 心がふらつく時には「仁」を思う。 と、理想はこんな感じです。 あとは日々修行あるのみ。 四書を通読して、 私は心に羅針盤ができた思いがします。 四冊分なのでページは多く、四書の通読は大変ですが、 皆さんも順番に読んで、 良い人生の道しるべとしていただきたいと思います。 長い人生、コンパスなしで旅をする? 怖い怖い。 川谷治訳註 岩波書店 1998年

面白かったけど、、、「デイヴィッド・コパフィールド」

「世界の十大小説」という本があります。 イギリスの作家サマセット・モームが1954年に刊行したもので、 タイトル通り、モームが選んだ世界のトップ10小説を紹介する書物です。 「この10作品を読破したいなぁ」と思い、手始めに読んだのが トルストイの「戦争と平和」でした。 これを読み終わった時にはもう、感激の嵐で 「読んでよかったぁあああ」と心底思ったものです。 そんな十大小説からの2作品目がこの「デイビッド・コパフィールド」です。 チャールズ・ディケンズによって1800年代半ばに書かれた作品です。 とても良い作品だったのですが、残念な点もあって、 手放しで絶賛はできない作品でした。 最大の難は「翻訳の古さ」です。 翻訳者は明治生まれの英文学の泰斗なんですが、 さすがに令和のいま読むには読み辛い訳と感じました。 作中に、手紙を書くのが大好きで、 その言葉遣いがずば抜けている男性が出てくるのですが、 その手紙の訳が漢文調であるのは流石に時代錯誤であると思いました。 自然な訳で良い箇所も多々あるのですが、手紙の訳の他にも、女性言葉の古めかしさ、 田舎言葉の古さなどが私は気になりました。 訳者がすでに鬼籍には入っておられるので、そのまま刊行しているようです。 作品自体が古いので、元の英語も恐らく読みづらいことだと思います。 だから訳も「敢えて」という部分もあるのでしょうが、 そこは翻訳作品であることを逆手にとって、 もう少し読み易い言葉で訳してもよいのではないかと思います。 また、ストーリーの展開がかなり強引で、 クライマックスの辺りは荒唐無稽な偶然の話になっていて、 ここも興ざめでした。 (モームによれば、当時は悪者は必ず倒されなければならなかったそうで、やむを得なかったようですが) 悪いことばかり書き立てましたが、 まるで目の前の本物の人間を描写しているかのようなキャラクター達の存在感は際立っていました。 読み終わったあとも、 まだみんなどこかで生きているかのような錯覚すら覚えてしまいます。 娯楽として読む小説にはうってつけです。 訳がこなれていれば日本でももっと多くの人々に読まれるのではないかと思います。 難はあっても、歴史の重みに耐えてきた名作の力は充分に味わえます。 さて私は、もう一度、別の方の訳で読み直してみたいと思い、 新たに岩波版を全五巻買い直しました。 二回

これぞ歴史学の学び方「歴史をみる眼」

  「歴史を学ぶ上で、その前提になる土台が欲しい」 と思い購入。 思いの外、素晴らしい書でした。 歴史を学ぶ予定が、 「帰着点が哲学になる」という「学問あるある」が飛び出したので、 最後はニンマリしてしまいました。 さて、その肝心の歴史を学ぶ土台ですが、 「こちらから何を歴史に問うか」を出発点にされているので、 自然、主観と客観の問題となり、 また、過去は現在とつながり、現在は未来につながっているので、 時間の問題に繋がり、 最終的に歴史の観点の成否は将来にならねば解らない、 故に「永遠の相のにもとに」というスピノザの言葉で本書は幕を閉じます。 学生時代の暗記主体の勉強では見えない視点ですね。 本来の勉強、つまり、学問とはこうしたもの。 まず「自分から歴史への問いかけ」から始まります。 中学生なら「歴史への問いかけ?」と不思議に感じることでしょう。 歴史を顧みるのは、 いまの問題の解決の手がかりを求めたいがためである、 と筆者は述べておられます。 私もまったくその通りだと思います。 現今のIT革命による職業淘汰の問題は、 形は違えど産業革命の時代のコピーです。 そこで産業革命の時代を振り返り、 ヒントを探りたくなるのが人情ってもんです。 主観的に歴史に問いかける。 でも、そのぶつかる歴史は本当に正しいの? 言い換えれば、客観的な検証は大丈夫なの? という「歴史の安全性の問題」に客観性が絡んできます。 ここが歴史学の難しさであるようです。 歴史学者はそこに心を砕いて、 歴史の正しさを得るために、 方法論としての客観性を担保しながら日々研究されておられます。 そして、その妥当性は未来が証してくれます。 こんなお話を、 科学とのアナロジー(類推)を用いて、 かなり、かなり、かみ砕いて説明してくださいます。 元々がラジオで放送されたものなので、 専門家ではなく一般の人々に向けた歴史書になっています。 個別具体的な歴史イベントのお話ではなく、 包括的な歴史そのものの扱い方を知りたい方は 是非、手にとってみてください。 「歴史をみる眼」が変わること請け合いです。 堀米庸三著 日本放送出版協会 1964年

傑作!「砂糖の世界史」

  「大人になるっておもしろい?」 以来の岩波ジュニア新書の一冊です。 私は子ども向けの解説本を大人向けの解説本よりも信頼してます。 理由は以下の通り。 著者選定の際に、 まず、その道の第一人者に白羽の矢が立つこと。 そして、最先端の話ではなく、 ベーシックな部分をじっくりと解説してくれること。 最後に、子ども向けなので説明が非常に分かりやすいこと。 そんな訳で、書店に行った際には児童書コーナーもよく徘徊してます。 さて、そんな児童書「砂糖の世界史」です。 「砂糖を通して歴史を見てみよう」というのが本書のテーマです。 これがまぁ、おもしろい! 砂糖を作るのに多くの奴隷が必要だったので 必然的に奴隷貿易の話が入ってきますし、 砂糖の大消費地となったイギリスの歴史、文化の話も出てきますし、 砂糖の浸透に欠かせなかった紅茶の話が出てくるので アジアとヨーロッパの貿易の話がでてきます。 こういう歴史の捉え方を「世界システム論」というそうです。 また、砂糖とその砂糖を愛好する人々を論じる捉え方を 「歴史人類学」というそうです。 本書はこの二つの視点からの歴史解説書です。 なぜ、産業革命がイギリスで起きたのか、 なぜ、アメリカはイギリスから独立したのか、 なぜ、イギリスが「大英帝国」といわれる地位を確立したのか、 そして、その地位をなぜ失うことになったのか、 これらが染み入るように理解できます。 (更に、本書を読んだあとなら、 SDGsがいかに欧米のマッチポンプであるかも自ずと見えてきます) 学校の勉強は受験がゴールなので どうしても「暗記」が中心になってしまいますが、 歴史を勉強する大きな目的の一つは 「その時代、その地域の人々と共感し合うこと」と筆者は述べます。 この本で筆者はこの再現に大成功を収めています。 「歴史学」の面白さがこの本には詰まっています。 歴史が嫌いな人にこそ手にとっていただきたい名著です。 岩波書店 川北 稔著 1996年

30年前の未来予測的中「ぼくたちの洗脳社会」

  岡田斗司夫さんの書かれた本です。 岡田斗司夫さんは、 元々はアニメ制作会社GAINAXの社長さんだったんですが、 「いまは、You tuberの人です」という説明が一番合ってると思います。 (実際はその他色々手広くされているようです) さて、本書は、 1995年に「これからの社会」を予測した本です。 「物」に価値がなくなり「情報」に価値が生まれてくる。 これまでは「マスメディア→大衆」のみだった洗脳システムが解放され、 個人でも洗脳が可能な社会が到来し、 洗脳する力が強い者に価値がある時代がやって来る、と述べておられます。 洗脳と言うと悪い印象ですが、 平たく言うと「価値観の押しつけ」です。 価値観は良いものも、悪いものもあるのですが、 今は悪いもののみが洗脳というイメージがあるので、 その点は注意が必要です。 1995年の書なんですが、 ひるがえって2023年の今を見てみると、 確かにそうなっていますね。 ネット上では著名人達がサロンを開設し、 一般ユーザーが好みの人のサロンに入会(有料です!)し、 喜んで「洗脳」を受ける流れができてきています。 また、Youtuberもにたようなものですね。 課金こそしないものの、 好みの人の動画を追いかけて見るのは、 その人の洗脳を受けている状態です。 そもそも人口減少社会では 「物を売る」というビジネスは行き詰まりを迎えることでしょう。 そうなると「何を売る?」という思考をしないと生き残りはできません。 そこで、売る商材が「情報」へと 変化していくのは必然なのかもしれません。 自分の価値観を商品化して、 それを販売するというのは、 これからのビジネスを捉える際に欠かせない視点だと思います。 尚、気を付けて読みたいのは 本書は一方的に「思うところ」を述べているだけなので、 裏付けが無く、 「当たったから良かったものの、、、」という占い師的な印象もある点です。 そういった点から考えても、 この本を読んで終わるのではなく、 本書の中で紹介されている A・トフラーの「第三の波」、 堺屋太一の「知価革命」をキッチリ読んでから考えることが求められると思います。 調べたところ両書とも絶版だったので、 私は図書館のお世話になろうと思います。 まずは「第三の波」から攻めてみます。 楽しみ♪ 岡田斗司夫著 朝日出版 1995年刊

うまく生きたいのなら「孟子」

  「孟子」は紀元前に中国に実在した人物の名前であり、 書物の名前でもあります。 今回はそんな書物「孟子」についてです。 中学生が国語で学ぶ「論語」という本がありますが、 あの系統の本です。 このグループは昔から「四書五経」とよばれています。 全部で九冊(四冊の書、五冊の経)の本がグループの中に存在していて、 「できればこの順番で読んだ方が学び易い」という読む順番まで存在しています。 「孟子」はその「四書」の中の一冊で、 推奨されている四書の読む順は 「大学→論語→孟子→中庸(ちゅうよう)」と言われています。 念のため、私もこの順番通りに進んできて、 やっと3冊目終了です。 孟子の中で論語の話題が出てくることがあり、 読む順番がこういう所に活きてくるのかと考えさせられました。 内容は道徳のハードモードとでも言えばいいのでしょうか。 「人の嫌がることをしない」のような よく耳にする言葉の出所が孟子だと解って、 中国古典哲学の偉大さを改めて思い知りました。 孟子は「性善説(人は産まれながらに善人であるという考え方)」を唱えていて、 私個人も同様に考えていますので、 非常に馴染みが良かったです。 当然、反対の考え方「性悪説」もありますが、 こっちの考え方の人は相当に読みにくい本なのではないかと思います。 性善なのか、性悪なのか、 答えはないのですが、 性善と信じた方が世の中を生きやすいと感じてます。 性善説を学びたい方は是非ご一読を。 間違いのない一冊でございます。 小林勝人訳・注 岩波書店 1968年刊